⾃分らしさやスタイルは、
規定しなくても
どこかに必ずあらわれる

永⼭ 祐⼦
建築家

Profile

永⼭祐⼦建築設計主宰建築家。⼀般的な建築物だけではなく、アート性の⾼いエキシビションも得意とする。イベントでは素材を⼀から作ったり、リユースにも積極的で、2025年の⼤阪・関西万博では、2020年のドバイ万博日本館のリユース材料でパビリオンを構築。

“らしさ”はにじみ出てくるもの

私の作るものは「スタイルがあるようでない」と⾔われることがあり、「こんなのも作るんだ」と驚かれたりもします。確かに最初からこういうものにしようとか、個⼈的にテーマとして常に何かを意識して貫いているということはあまりないと思います。その時々で受けた仕事に対し、課題の解決や魅⼒をどう拡張するか、観察と発⾒をただ真摯に繰り返しているだけです。でも完成したものをよく⾒てみると「共通して気にかけているな」、「これは私らしさだな」というものが結果的に系譜として⾒えることが多いですね。

そこには癖や⾃分の好み、育った⾵⼟が影響することもあります。2020年のドバイ国際博覧会で、あえて⽇本らしさを建物の構法やマテリアルで表現せず、建物の⽴ち⽅、光や影の扱いの中に⽇本らしさがにじみ出てくるように考えました。使っているものや作り⽅はとてもグローバルなものをあえて使いましたが、多くの⼈に⽇本らしいと⾔われました。

空間を精神的なものにまで拡張する

“らしさ”は⾃然とにじみ出てくるものといいましたが、⾃分の建築を作るときの考え⽅を⾔葉にし、それを展覧会などで表現していた時期もあります。キャリア初期にリビングデザインセンターOZONE( 以下OZONE)で⾏った個展、「届かない場所」はそのひとつ。当時、⾃分がいる場所といない場所という、ふたつの世界が並⾏していることや、そこに流れるそれぞれの時間に興味を持っていました。意識の中での空間把握が物理的な空間を超えられるのではないかと考えました。空間の把握の仕⽅は⼈それぞれ、意識の持ち⽅でも変わります。この個展の少し前に作った「丘のある家」という住宅がありますが、ここで⼤きな勾配のある壁を丘に⾒⽴て、⼿は届かないけれど思いを馳せられる場所をというものをデザインしました。それをもっと抽象的にしたのが、OZONEでの空間インスタレーションです。

内容はこうです。会場全体が⼤きな膜の屋根で覆われ、膜の上の造花が膜の下に吊り下がる重りとテグスでつながっています。下に重りがあることで膜の上の不安定な花が膜の上に⽴っている状態を保っています。会場に⼊ると頭上の膜に花の影が⾒え、気配はあっても直接は⾒えません。でも⼈が会場を動きまわり無数に下がった重りに触れると、上の花が揺れたり、膜の上に倒れてパタっと⾳がしたり、倒れた花は薄い膜を透かして⾊が⾒えたりします。膜の上にも世界が存在することが察せられるんです。膜を挟んでふたつの世界が並⾏して存在し、届きそうで届かないけれど、でもどこかでつながっている……。そんな⾵に、体は届かなくても精神的に⾃由な空間について、直接的な表現で作ったインスタレーションでした。当時のOZONEでは若⼿建築家にこうした個展の場を与えてくれていて、いずれ私も、と思っていました。かなり⾃由に作らせてもらい、⾃分が想像した世界観とでき上がった世界観が⼀致していて、とても気に⼊っている作品です。

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「丘のある家」に作った壁⾯の丘は、⼈の⼿は届かない。「⼈が⾏けないけれど、純粋な場所が残されている」ものの象徴として、⽊のサインがシンボリックにそびえる

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OZONEサポート展2 0 0 7届かない場所
300本以上の造花や舞台⽤の⼤きな布など材料調達に奔⾛し、コツコツと⼿作業で完成した。のちの作品でも⼈が⼿を動かして作り上げるエキシビションが多く、その原点といえる

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考えは変化しつつ回帰することも

このエキシビションで表現したかったことは今でも私の空間の考え⽅の根底にありますが、その後より公共的な建物などさまざまなプロジェクトを⼿がけていき、そのプロジェクトごとに取り組み⽅、テーマの決め⽅を変えてきました。建築が作られることによって⽣まれる可能性、マテリアルへの向き合い⽅など概念を超えてもう少し具体的になっていった感じでしょうか。私にとって私らしさはそれほど重要ではなく、そこにあるべき建築の姿を考えることに集中しています。

OZONEでの展覧会を思い返すと空間における距離感や、並⾏して流れる空間と時間など「昔もこんなこと考えていたな」と⼀周まわって再び出会った感じがします。これまで⼿がけた作品でいうと、例えば⽇⽐⾕公園でのイベントで発表した「はなのハンモック」という作品は、ハンモックの網は⿂網のリサイクルで作られています。この網は実は以前東京ミッドタウンのイベントで使ったものをリユースしています。「はなのハンモック」では通常は⼊れない芝⽣広場に花畑を作り、その上にハンモックを広げ、花畑を上から眺め、届きそうだけど届かない状態を作りました。「膜屋根のいえ」という住宅では膜屋根を染める陽の光や⾬粒の⾳などで⾃然の気配を感じることができます。⾃然と⼈との距離感、⾁体と精神のバランスの中に⾒る空間性など、やはり根底には共通のものが流れているなと気づきますね。

住まいには柔軟な可変性が必要

イベント、バビリオンなど⼀時的に使われるものはリユースしたり、⿂網のアップサイクルなど素材そのものに向き合ったりしていますが、⻑く恒久的に建つ建築においては良いものを作り⻑く愛されることこそ、いちばんサステナブルだと思っています。私なりに⼼がけているのは、最初から使い⽅を決めないシンプルな空間です。

住宅は使ううちに何となく場ができてくるもの。キッチンのように使い⽅が最初から限定されるような場もあれば住むうちにスタイルが決まり、使い⽅が変化していく場もあります。今は⼆拠点⽣活をする⼈もいれば、家で仕事をする⼈もいます。だからこれからの時代のリビングデザインを考えると、家というものが可変性に対して柔軟であることが⼤事だと思うんです。住む⼈が⾃分で場所を決めていけばいいように余⽩を持たせているし、可能性を残しておこうという気持ちがありますね。ライフスタイルが変わっても建て替えるのではなく、少しだけ直せば使えるとか、⻑く愛着を持ってもらえる家を作っていきたいですね。

私の⾃宅もその考えで作っています。マンションをリノベーションしましたが、仕事で忙しい分、家にいるときは家族と一体感を持てるようにワンルームにしました。そのうち⼦どもたちも個室が必要になるので、あとからセパレートできるようにしています。私も⾃分の家を設計したことで、これから⽇々住まいながら⾃分の設計の検証と更新を⾏っていくのだと思います。

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マンションをリノベーションした⾃宅は、2本の独⽴柱を軸に空間をゆるやかに区切る。個室をどこにするか⼦どもたちと話し合い、まさに今現在も可変を続けている途上だ
photo by Nobutada Omote

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ガラス屋根の「⻄⿇布の家」。天井は調光ガラスで、⽇が⼊ると⾃動的に暗くなり、熱も遮るが、夜になると再び外が⾒える。⼈を招いたときのキッチンまわりの⾒せ⽅にもこだわっている
photo by Nobutada Omote

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