国内企業でありながら、その中心的事業としてデンマーク家具のライセンス生産に取り組み続ける岐阜県の家具メーカー:株式会社キタニ。OZONE 4F【Kitani 東京ショールーム】は、一軒の家を想定した空間設計がなされており、キタニ製の家具が醸し出す上質な時間と空間をいつでも体験することができます。飛騨高山の小さな家具工房が、いかにしてデンマークとつながり、信頼の証であるライセンス契約を得て伝統の継承者に選ばれたのか…… キタニ製品の販売を担う株式会社キタニジャパン 営業部長の蓬莱誠司さんにお話を伺いました。
ウレタンフォームなどの化成品販売からスタート
―世界でも最高峰の技術と伝統を誇るデンマークの木工家具。その美と技を現代に伝える「ライセンス生産」という大役を任されているキタニですが、そこに至る道はけっして平坦ではなく、新たな業態への挑戦の連続でした。
蓬莱 高山市にある親会社は100年以上の歴史がある製茶会社ですが、早くから多角的な経営をしていて、ダム建設に使うダイナマイトの販売なども昭和初期から手掛けていました。そうした企業グループの中で「何か夢のある仕事をしたい」という思いの下に生まれたのが株式会社キタニで、まずはビニールやウレタンフォームなどの化成品の販売から事業を始めました。椅子のクッション材や家具の梱包資材としてこれらを求める家具メーカーが高山にはたくさんあったわけですが、当初は工場も持っておらず、仕入れて売るだけの販売業をしていました。
そのうち、椅子の設計に合わせてウレタンフォームを加工して納めてほしいという要望が入り始めたので、材料のカットや接着が行える自社工場を持つようになり、次いで下請けとして椅子張りやファブリックの縫製も請け負うようになっていきました。高山の家具メーカーの多くは木工中心で、椅子張りや縫製のノウハウを持っていませんでしたので、そうした仕事が舞い込んできたわけです。しかし、当社自身もやはり家具メーカーとして独り立ちしたいという希望があり、1990年に木工部を立ち上げ、ソファの木枠製作を開始しました。ここでようやく、木工、ファブリック、化成品、その張り込みや縫製などを一貫して扱えるようになり、家具メーカーとしての骨格が揃いました。
北欧家具への着目と、ライセンス生産への挑戦
―化成品の販売業からスタートしながらも、家具工房が集まる高山の地域性に馴染みながら、徐々に家具生産の世界に接近していったわけですね。では、遠く離れた異国の文化である北欧の家具には、どのようなきっかけでアプローチされたのでしょうか?
蓬莱 木工部を立ち上げ、あちこちのオフィスメーカーなどから試作品製作などを請け負うようになった1990年代はじめ頃、あらたな開発の方向性として「福祉施設向け家具」に着目するようになりました。ちょうどその頃、特別養護老人ホームが国の予算で建てられるようになったんですが、そこに納められるべき高齢者向けの家具を作っている日本のメーカーはほとんどなく、高価な北欧の福祉家具をわざわざ輸入しているような状況でした。今後の高齢化社会を見据えての社会貢献の意味もあり、これらの福祉家具を国内で生産できるようにしたいという思いが最初にありました。
そこで社長と技術者が1994年にデンマークの高齢者施設を視察させてもらったところ、入居者のほとんどが、自分が長年使い慣れた椅子を居室に持ち込んで大事に使い続けていることに驚きました。北欧の社会には、良い物を大切に修理しながら何世代にもわたって使い続ける、独自の家具文化があることに気づかされたわけです。これは福祉家具の前に、北欧家具と、その文化そのものを学ぶ必要がある……と考えた社長は、コンテナ一杯分にも及ぶ大量の中古家具を現地で買い付け、船便で日本に持ち帰りました。
―かなり大胆な決断ですね。しかし、そこから北欧の家具文化に関する多くの学びが得られるはずだ、という確信があったのでしょうね。
蓬莱 そうだと思います。社内でも北欧家具の高い技術や文化を知る者はほとんどいませんでしたので、最初は「社長がデンマークでゴミの山を買ってきた……」と笑っていたのですが、実際はそれが宝の山でした。届いた中古家具を木工部が丁寧に分解し、構造や素材を調べていくうちに、とんでもなく高度なデザインと設計、加工技術によって製作されている家具ばかりであることに気づかされます。これらを教材として、そのリペアと再現に取り組む日々が続くうちに、やはり本場デンマークの家具工房から直接教えを受けたいと思うようになりました。
しかし調べてみると、もはやデンマーク国内にはそうした工房がほとんど残っていないことが分かりました。設計図を継承してライセンス生産をしている大手メーカーはあっても、オリジナルの工房は廃業が相次ぎ、風前の灯火のような状態にあったわけです。もともと北欧は人口がそれほど多くありませんので国内の市場規模が小さく、質は高くとも、それを世界に販売できるような営業力も持たない小さな工房ばかりでしたので、このような残念な状態になってしまったようですね。
―そうした失われつつある伝統技術を継承するライセンス生産メーカーとして、キタニも手を挙げることになるわけですね。
蓬莱 そうなんですが、その前段として北欧家具のオークションを始めています。デンマークで買い付けてリペアした家具を高山の本社や工場に展示していたところ、建築家やデザイナーの目に留まり、「なぜ、こんな山奥に希少な名作家具があるんですか!?」と驚かれ、譲ってほしいと頼まれることが増えてきました。要するに、その頃までには構造や素材を正しく理解し、売り物の水準にまでリペアできる技術を積み重ねることができたということですね。
その後、デンマークでも、「どうやら日本の山奥でデンマーク家具のリペアをやっている工房があるらしい」という噂が伝わり、本国からも問い合わせが来るようになりました。そしてイプ・コフォード・ラーセンさんを皮切りに、デンマーク家具作家や工房の後継者などから、ライセンス生産のお話しを頂くようになりました。本国の関係者の側からオファーを頂くというのは、本当に光栄なことでした。プロトタイプを製作し、デンマークへ送って承認をいただき、ライセンス契約を締結する過程を経て、1996年からライセンス生産を少しずつ始めていきます。場合によっては図面や木型など、貴重な資料を譲り受けることもありました。
後編では、キタニがその技を継承した「6名のデザイナー」と、その中でも特別な思いで復刻に打ち込むヤコブ・ケアの作品について、お話をお伺いしています。併せてご覧ください。
※文中敬称略
※2023年5月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。