「籐(トウ)」という素材をご存知でしょうか。椅子の座面や背もたれを丁寧に編み込んだ「籐(ラタン)家具」などで知られる植物素材です。その歴史は古く、紀元前4000年のエジプトで、既に椅子の素材として使われていたとのこと。日本でも1000年以上前から愛用されており、江戸時代には既に東南アジアから籐を輸入し、敷物を作っていたそうです。しかし、日本でよく知られているマメ科の植物「藤(フジ)」や、工芸品によく使われる「竹」などの植物と混同されていたり、実は調湿性・防汚性・消臭機能に優れた特性を持っているなど、その実態や真価はまだまだ広く知られているとは言い難い状態です。この「籐」と向き合い続けて35年を数える愛知県の企業:有限会社野々山籐屋の代表取締役:野々山正紀さんにお話しを伺いました。
“籐”という素材との出会い
―まずは、野々山籐屋という会社の成り立ちについてお伺いします。
野々山 私と妻、二人だけでやっている小さな会社です。もともとは籐の敷物「籐むしろ」を作っている別の会社に職人として所属していたんですが、9年ほど修行した後に独立しました。籐という素材を深く知ることを通じて、ちょっと新しいことに挑戦してみたくなったんですよ。しかし、元々所属していた会社のお客さんを取るわけにはいきませんから、独立当初は仕事も無く、材料の仕入れに必要な資金も無くて困っていたんですが、福島県のとある内装会社さんがポンと仕事を任せてくれて、仕入れのための前金まで用意してくれたんです。それがゴルフ場の大きな脱衣所に敷く籐むしろを作る仕事でした。この最初の仕事が無ければ、今の野々山籐屋は無かったかもしれませんね。今でも感謝しています。それが1989年のことでした。
当時はバブル景気終盤で、日本中にゴルフ場が建設されている時期ですね。その大浴場の脱衣所で、高級感を演出できる籐の敷物はとても人気があったんです。もちろん、ゴルフ場の建設を請け負うのは大手の建設会社やゼネコンで、さらにその下に内装業者が入り、私たちはそこに敷物を納める仕事の受け方ですけど。そうした仕事が次第に舞い込むようになり、東北、東海、関西、九州など、本当にあちこちのゴルフ場に籐むしろを納めさせていただきましたよ。同じように、高級温泉旅館も新設・リニューアル問わず、次々工事のあった時期でしたので、そうしたリゾート・観光施設の建設ブームと、創業のタイミングがピッタリ合っていたのは幸運なことでしたね。当初は個人事業として始めていましたが、5年後には「有限会社 野々山籐屋」を設立するに至りました。
―ということは、まずは業務用の大型籐むしろの生産で会社の基礎が築かれていったわけですね。その頃は一般の住宅からの需要などは、まだ多くは無かったということでしょうか。
野々山 そうですね。やはり高級品でもありますし、型紙を作った上でのオーダーメイドがほとんどなので、なかなか一般家庭でそこまでする方はいませんでした。あるとすれば、大きなお座敷に夏の間だけ敷く、「風流な夏の敷物」としての古くからの籐むしろの使い方ですね。これもやはり大広間を持つお屋敷などに限られますけど。脱衣場で使われているとおり、調湿機能に優れた籐むしろは、本来、湿気のある場所や水回りなどに最適な素材なんですが、見た目や先入観から、「水分や汚れに弱い」と思い込まれてしまうことも多く、一般家庭では敬遠されがちという側面もあったかもしれません。逆に言えば、高級天然素材であるがゆえの、こうした一般家庭に対する敷居の高さが、籐製品の普及における一つの壁でもあったわけです。
―90年代も後半になると、リゾート・観光施設の建設ブームが落ち着いてくると思いますが、脱衣所向けの大型籐むしろの需要にも変化が訪れたのでしょうか?
野々山 目に見えて減ってきた……どころか、新規の受注は、ほぼゼロに近いほどに急激に落ち込みましたね。また籐むしろは本来、どうしても経年変化で傷みが出たり、色が変わったりしますので、修理や取り換えの需要もあるはずなんです。しかしこの頃、建物の空調性能やエアコンの除湿機能が向上してきた影響で、約20年の製品寿命が30~40年にも伸びるようになってきて、その需要もあまり期待できない状況になってきました。上手くいかないもんです(笑) そこで先ほどお話した、一般家庭への普及における「壁」を突破する必要が、益々出てきたわけです。
一般住宅向けへの転換と、そのためのエビデンスの獲得
―業務用大型籐むしろの生産を中核とした体制から、大きな業態変換を迫られたわけですね。
野々山 そういうことです。そのためには、一般に広く浸透している「高価な夏の敷物」という固定概念や、「籐は湿り気や汚れに弱い」という誤解を解く必要があったんですが、懸命に説明してもなかなか分かってもらえません。そこでまず、籐の優れた機能性を科学的に証明しようと、2000年代に愛知県産業技術研究所や名古屋大学と共同で、籐の微細構造を研究し、吸水機能、調湿機能、消臭機能の仕組みや効果の分析を行いました。籐自体は大昔から使われてきたものですが、機能性を証明することで、新たな魅力が発信できるんじゃないかと考えたわけです。
東南アジアのジャングルに自生し、無数の鋭いトゲで他の樹木を伝いながら、数10~200mの長さにまで伸びる「草」である籐は、成長しても木質化せず、どこを切ってもまっすぐな導管(水を吸い上げる細い管)が密に通っています。 この導管による多孔質構造のおかげで内部に湿気を貯めたり、乾燥すればそれを放出したりできるわけです。試験の結果、JISが定める調湿建材基準の2.7倍の性能があることが分かりました。一畳の面積の籐に、コップ一杯分くらいの水分が出たり入ったりできるということになります。ノコギリや布団叩きの柄に籐が巻いてあるのも、その吸水性能が手汗を吸うことで滑り止め効果が高くなるからですね。
また、アンモニア臭を60分で99%吸着できるという、一般的な消臭剤よりも高い消臭性能も明らかになりました。長くつながった導管のおかげで、におい成分をより多く吸着することができるためです。さらに籐の表面にはガラス質のシリカ層が形成されています。そのため、素足にひんやりと心地よく、ホーロー鍋のように籐をコーティングしているので、汚れもホコリも簡単に落とすことができます。
―籐の優れた機能性を説明するためのエビデンスを得たわけですね。
野々山 もちろん、こうしたデータや説明を揃えるだけではお客さんは信用してくれません。実際に効果を実感してもらわないとダメなんです。そのために『籐の消臭剤・ムッシュラタン』というブランドを立ち上げ、これまでのような「敷物」だけではなく、機能性を前面に出した「消臭グッズ」という、まったく新しい商品形態への挑戦を始めました。冷蔵庫用、靴用、自動車用、部屋用など様々な生活場面で効果を実感できる、籐を使った消臭剤商品を開発したんです。籐の持つ素晴らしい機能性と、なによりも籐という素材を身近に感じてもらうためですね。
同時に、百貨店での物産展、職人展、ギフトショー、エコデザイン展など、参加可能な機会をつかまえては積極的にお客さんの前に出て行って、籐の素晴らしさを説明しながら『ムッシュラタン』をお勧めする活動も始めました。内装業者を通じて観光施設の建設現場に籐むしろを納品していた頃とは、まったく違う商売の形ですよね。でも、物産展の初日に消臭グッズを購入してくれた方が、会期終了前にもう一度来店してくれて、「すごい効き目だった、ありがとう!」なんて興奮気味に話してくださったりするのは、本当に職人冥利に尽きる瞬間ですよ。これまでの仕事では、建設現場に納品して終わり、というのが当たり前で、誰からも御礼や感動を伝えてもらうことはありませんでしたから。次の挑戦に踏み出していくための力になりますよね。
―『ムッシュラタン』というブランド名や、ウェブサイト、パンフレットのデザインなど、ブランディングもとても工夫されていますね。
野々山 自社のホームページは90年代から妻が自分で勉強して独力で作ってきたんですが、『ムッシュラタン』に関してはちゃんとデザイナーを入れて、キャッチコピーなどもしっかり考えました。『ムッシュラタン』の名は「無臭」から名付けたシャレではあるんですが(笑) パンフレットに関しては、とあるデザイン学校から、「分かりやすく美しいパンフレットデザインの見本として紹介したい」という依頼が来たりもしましたよ。2020東京五輪のタイミングに合わせて、外国の方にもアピールしたいと思って、靴用消臭剤は忍者の足袋風のデザインにしてあったりもします。
こういうキャッチ―な演出も必要だと思ったのは、やはり、展示会イベントなどで一般のお客さんとの触れ合いや対話を重ねてきたからこそ、ですね。そもそも籐という素材を知らない、籐むしろが敷かれたお座敷や脱衣所なんて見たことがないという若い方たちは、まるで未知の新素材に出会ったかのように驚いてくれます。敷物は何十年も使い続けられるし、壊れたら修理することもできる。化学製品と違って籐の消臭剤は半永久的に使えることなどを伝えると、「すごいSDGsですね!」と感動してくれる方もいます。何千年も前から使われている素材ですけど、まだまだ未来に向けてのアピールができると思っていますよ。
―野々山籐屋さんのもう一つのお仕事として、籐家具の修理・再生にも取り組まれていますね。
野々山 籐家具の製造はしていませんし、家具は専門ではないんですが、以前から修理を頼まれることがありました。籐むしろの製造が忙しかった頃は、とてもそこまで手が回らなかったんですが、需要が減ってきたあたりから、少しずつ手掛けるようになりましたね。丁寧に分解しながら材料を調べ、籐の幅や厚さを測り、編み方を研究して、時間をかけて修理していきます。籐家具の世界、特に海外のメーカーなどは、時代とともに製造方法がどんどん変わってきているので、昔ながらの方法で修理するには、私たちのように試行錯誤しながら直すしかないようなんです。今では、カッシーナの名作椅子「スーパーレジェーラ(籐張り)」の修理も、年に何脚かご依頼いただくようになりました。家族の歴史とともに何十年も愛用されてきた家具をお預かりして、もう一度再生させるわけですから、この仕事もお客さんとの触れ合いが大切ですし、本当にやり甲斐を感じますよ。
―今後の夢は? という問いには、「あまり大きな夢は持たず、今ある商品や技術を、できるだけ多くの人に知ってもらうことを目指しています。」と謙虚に応える野々山さん。ゴルフ場向けの籐むしろ製造から、勇気のいる大胆な業態転換の末、かつては手掛けていなかった商品、触れ合っていなかった人々との出会いを経て、今では「お客様の声」という何より大きな喜びが返ってきているとのこと。また今後は介護や福祉の分野に籐の機能性を応用できないかと画策中だとも。その更なる飛躍に大いに期待しましょう。
※文中敬称略
※2024年4月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。
【OZONE館内ショールームでも野々山籐屋製品を取り扱い中】
OZONE 5F 「Japan creation space monova」
特別展示『野々山籐屋の籐むしろ』
3F OZONEカタログライブラリー内の特設コーナーにて、籐むしろの触り心地を体感いただける特別展示を開催しています。
調湿性・防汚性・消臭機能に優れた籐むしろは、脱衣所、トイレ、キッチンといった湿気のある場所や水回りに最適な敷物です。また、居室に敷くことで、年中快適な湿度を保ってくれます。もちろん、これからむかえるジメジメとした季節にも最適です。
ぜひ、実際に触って座って、籐のさらさら、ひんやりとした触り心地をご体感ください。
- 会期
- 2024年5月2日(木)~8月31日(土)※会期が延長となりました。 ※水曜日休館(祝日除く)
- 時間
- 10:30~18:30
- 会場
- 3F OZONEカタログライブラリー
- 入場料
- 無料