世界各地の食卓にまつわるエピソードを通じて、地域の生活や文化を探り、食のあり方を考える全4回のシリーズ「食卓が生み出すものとは?―世界の食卓から学んだ知恵と工夫―」。
第2回に登場するのは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南米など30カ国以上の国を巡り、160を超える家庭の台所を訪れ、その国の社会や文化を伝える、世界の台所探検家の岡根谷実里さんです。
料理を通して、現地の人と触れ合う中で、その国の社会や文化が見えてくると語る岡根谷さん。これまで出会った思い出深い食べ物やエピソード、食に対する自身の姿勢についてお話を伺いました。
祖母の煮物と、世界がつながる瞬間
7年間で30カ国・約160を超える世界各地の家庭の台所を訪れ、その家の人と一緒に料理をつくり、食から見える社会文化背景を執筆や講演などで伝える「世界の台所探検家」岡根谷実里さん。これまでに訪れたのは、都会的な街の家庭から、インフラが整っていない山間地の少数民族の家庭まで多岐に及びます。そのパワフルな行動の原動力は一体どこから湧いてくるのでしょうか。
「料理ってすごく面白くて、その国の文化や歴史、土地柄、時には政治や環境問題まで、さまざまな事象が反映されているんです。現地の家に滞在しながら、その家庭の料理を一緒に作っていると、色々なことが見えてくる。そこで感じたことを書いて本にまとめたり、講演や授業などで話したり、研究する活動をしています」
岡根谷さんは長野県出身で、幼少期は三世代が同居する家庭で育ちました。
「子どもの頃に料理の手伝いをしていたとか、食いしん坊だったわけではないんですが、祖母も母もすごく料理をする人で、その様子をよく見ていました」
食卓に並べられていたのは、煮物や漬物といった地味なものが多かった、と話す岡根谷さん。進学のため上京してから、定食屋で提供される大根、人参、里芋などに絹さやで彩りを添えた煮物を見て、祖母がつくる煮物との違いに気がついたそうです。
「我が家の煮物は、東京で出会うような"素敵"な煮物じゃなくて、野菜や山菜と一緒にちくわや身欠きニシン(ニシンの干物)を煮たものが多かった。海のない長野県では、昔は新鮮な海産物が手に入りにくく、乾物や加工品が主流でした。それらの食材を煮物にも取り入れていたのが、物流が発達した今でも食文化として残っているようです。日本の東北地方内陸部やアジアの山間部に行った時に、海産乾物が入った同じような料理に出会ったことがあって、保存した海の幸と、採りたての野菜や山菜を組み合わせて美味しいものをつくりたいという気持ちは一緒なんだなと感じました。そういう料理に出会うとうれしくて、祖母の煮物が自分の一部になっていることを実感します」
煮物ひとつから、地理的特性と歴史的背景を考察し、自身の記憶を辿りながら、その地域の社会や文化を見つめる岡根谷さん。数々の台所を訪れた体験と、料理に関する広範な知識による分析力もさることながら、その類まれな観察眼に驚かされます。
「視野を広げてくれた食べ物のひとつが、ジャガイモです。日本では肉じゃがや煮っころがしなど、"おかず"として食べていますが、夏のフィンランドでは、毎日のように茹でて主食のように食べています。一方、南米のコロンビアでは、1つのスープに3種類のジャガイモを使い、煮込んだ時に具材として残るもの、溶けてとろみになるものと、それぞれ役割が違うのだそうです。このようにジャガイモには、自分が知っていた『おかずとして使う』だけではない多様な文脈があることを知ることができました。こうした体験を通して、同じ対象物であっても、国や人によって捉え方や見え方が大きく違うことに改めて気づかされました」
食事に集中することで得られる
充足感と探究心
そんな岡根谷さんは、食事をする時に意識していることがあると言います。
「食事は適当にしたくない。食べることに集中すると、すごく心が満足します。たとえ忙しくてコンビニで買ったものでも、意思を持って今日食べるものを選ぶことはできる。『これでいいや』と適当に選ぶのではなくて、『今日はこれを食べるぞ!』と意思を持って選んで食べたい。食べることを雑にしてしまうと、色々なことに申し訳ない気持ちになるし、自分もなんだか満たされない気分になってしまうんですよね。食べることに集中していると、例えば人参を食べていて『人参の内側と外側ってどうして色が違うのだろう』と気になって調べてみたり、タマゴサンドを食べて『マヨネーズが多い気がするけれど、どのぐらい入っているのだろう』と思って成分表で脂質を確認してみたり、あれこれ食べ物に思いを巡らせていると、次の興味に繋がっていきます。私にとって食事は、新しいことを知る探究の時間でもあるのです。とは言っても、いつもできているわけではありませんが」
食事をしながらテレビを見たり、スマートフォンを触ったりする人は多いのではないでしょうか。その習慣から一旦離れて、食べ物や食事に集中してみると、眠っていた五感が目覚めて、身体全体で食べ物を味わう喜びと新たな好奇心が湧き上がってくるかもしれません。
食卓で結ばれ、空間を超えて繋がる縁
今回、世界各国の台所を訪れた中で、現地の人から譲り受けたという思い出深い道具を紹介してくれました。
「これはインドの家庭で出会った包丁です。ナイフのような形をしていて、薄くて軽くて、野菜を切ったり、皮を剥くのに便利です。コンパクトでかっこいいから、『これが欲しいんだけど、どこで売っているのか』と聞いたら、『あげるよ。1ルピーね』と言われたんです。どうして1ルピー(日本円で1.89円)なんてわざわざ言うのかと思っていたら、『包丁はあげるものじゃない。もしあげると縁が切れてしまうから』と言うんです。日本でも縁起を担いだり、気にしたりするように、インドにもそういう文化があって、その気遣いの気持ちが嬉しかったですし、それって豊かだなと感じました。また、フィンランドを訪れた時には、アウトドアなどで使う小さな「ククサ」という木製カップをクリスマスプレゼントにもらいました。それを気に入って使っていたら、他の家で「それどうしたの?」と聞かれ、「プレゼントされたんだよ」と答えたら「そうだよね。ククサは自分で買うものじゃない」と言われました。ククサは大切な人に贈るものなのだそうです。この2つの出来事を通して、食卓って物理的な空間の繋がりよりも、もっと空間を超えた深いところで繋がれるんだなと感じました」
今でもこれらを見ると、その国や出会った人のことも思い出します、と嬉しそうに目を細める岡根谷さん。一緒に台所で料理をすることで、言葉は通じなくても、心を通わせることができる。世界で体験したさまざまなエピソードを聞いて、食卓には、人と人の気持ちを強く結びつける力があることを強く感じました。
プロフィール
岡根谷 実里(おかねや みさと)
世界の台所探検家。世界各地の家庭の台所を訪れて一緒に料理をし、料理を通して見える暮らしや社会の様子を発信している。講演・執筆・研究のほか、全国の小中高校への出張授業も実施。立命館大学BKC社系研究機構客員協力研究員、京都芸術大学客員講師ほか。近著に「世界の食卓から社会が見える(大和書房)」。
"生きるために食べること"から『生きることを、より一層楽しむために食べる』時代へと変化した昨今、いま私たちには何が求められているのでしょうか?
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※2024年6月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。