ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。
「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターたちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか? 彼らの「仕事術」を明らかにすることで、読者それぞれの仕事にも置き換えて、考えるきっかけになればと考えている。
トミトアーキテクチャを率いる、建築家の冨永美保氏へのインタビューの後編。
前編では、Y-GSA在籍中に手がけた最初の改修プロジェクト《CASACO》と、2019年に竣工し、数々のメディアで紹介された《真鶴出版2号店》などについて話を聞いた。
後編では、そのほか進行中のプロジェクトや、そもそも建築家になった経緯、影響を受けた恩師についても聞いている。
芝浦工大で「建築」にハマる
ーご出身は芝浦工業大学の建築工学科。卒業後はY-GSA(横浜国立大学大学院建築都市スクール)に進み、在学中に得た最初の仕事で建築家としてデビュー。ここまで順風満帆ですね。
冨永いやー、どうでしょう。大学を出たあと、設計事務所での修行もせずに独立したので、ずっと方法を模索している感じです。いろんな方々に支えてもらいながら、今までなんとかここまでやってこれているかと。
ーそもそも、どうして建築家になろうと思ったのですか。
冨永そもそもぜんぜん思ってなかった。高校卒業後、もともとプロダクトデザインをやりたかったのですが、合格をもらえたのが建築の学校だけだったんです。
ーそれは衝撃の告白です。
冨永芝浦工大で意匠系の赤堀忍先生に教わったのが大きかったですね。とってもフリーな研究室だったんですよ。良い意味での放任主義で、いわゆる「先生の思考」を全く押し付けられない空間でした。赤堀先生は生徒の話を「聞く」という姿勢の人だったんです。それが当時の私にはとても合っていた。ああ、建築って、こんなにも大きな歴史があるのに、生身でぶつかって、自由に考えていいんだって、勇気をもらった感じでした。
高校時代は課題と赤本の世界ですよね。答えが決まっていて、その先の将来も、既存のルートに振り分けられていくようなイメージしか抱いていなかった。それが、建築ってこんなに自由でいいんだって。そのおもしろさが今日まで続いている感じですね。
影響を受けた建築家は小嶋一浩さんと西沢立衛さん
ー芝浦工大の赤堀先生以外で、影響を受けた建築家はどなたがいますか?
冨永いろんな人から影響を受けていますが、挙げるとすれば、小嶋一浩さんと、西沢立衛さんですね。2011年の春に東京理科大学からY-GSAに移られた小嶋先生を追いかけて、Y-GSAを受験したようなものです。
小嶋さんが理科大で出していた課題がすっごいおもしろかったんですよ。例えば、ある建築写真で好きなものを1枚ピックアップして、その写真と同じように撮れるか模型で再現してみなさいとか。ダンボール箱になんでも入れていいから、そこに自分が体験したことのない光の状態をつくってみなさいとか。やってみると、写真には映ってない開口部と空間との関係性がわかる。そういう実験的な授業が理科大の小嶋研では多いらしいと聞いて、ぜひ習ってみたかった。
実際に接した小嶋さんは、建築家としてかっこよかった。例えば、海外の人たちと自分の建築について話をしたいから英語を勉強するんだとか、僕はタバコが吸いたいから、たとえ禁煙のこの場所でも吸うんだとか(笑)、たまにちょっとおかしなことも仰るんだけど、自分の好きな車に乗るんだとか、自分の好きな人と結婚するんだ! とか。
でも、そうして自分で掲げたことを1つ1つ、ぜんぶ勝ち取ってきた方だと思うんです、小嶋さんって。強い理念をもって、建築家を体現されていた。それが人間としてもすごくかっこよかった。建築家をやりながら自由に発言するためには、果たして私はこの人みたいになれるんだろうかと、目標になった存在でした。
学生の頃って、不安しかないんです。この先、設計をずっとやっていけるのかと。ゆくゆくは結婚したいし、できれば子どもも産みたい。一級建築士の資格もとりたい。でも、それをぜんぶやろうとしたら破綻するかもという大きな不安。でも、楽しいと思うことだからこれから全部それをやってくんだ!っていう前向きな気持ちにさせてくれたのが、小嶋一浩さんでした。
ー西沢立衛さんからはどのような影響を受けましたか。
冨永西沢さんって、Y-GSAのエスキスの場で、学生がちょっとでも適当なことを言うと、すぐ「なんで?」「なんでそう思ったの?」って訊き返すんです。安易な考えを一瞬で見抜く(笑)。
でも、そういうやりとりをしているうちに、だんだんとわかってくるんですよ、大事なのは、この敷地に何を建てる「べき」ではなく、どんな未来を、それぞれのリアリティにのせながら描けるかだってことが。
本質を見抜くというか、手繰り寄せる人で、それが西沢さんの建築にも出ていると思うし、建築家としてすごくピュアで素敵な人だと思っています。
考えるために絵を描く
ーところで、先ほどから見せていただいている、水彩スケッチがとても綺麗ですね。これは冨永さんが描いているのですか?
冨永はい、私が描いています。 いろいろなことを考えてスタディする際、なにかを掴みたいようなときに絵を描きます。まちを歩いて、いろいろ考えて、それを絵に描き留める。 《真鶴出版2号店》での風景画は、施主である真鶴出版のお二人が、プロジェクトをまとめた本を出版されたときに書籍の表紙に採用してくれました。嬉しかったですね。
ー水彩画を描くのは昔からの習慣ですか?
冨永そうですね、学生の頃から描いているかな。
あと、フィールドワークもですが、Y-GSAでやっていた課題も影響していますね。都市って何だろうかと考えてみると、その実態はない。ないんだけれども、実感の延長にある気がする。いろんな実感の延長の先に、いろんな主体、いろんなネットワーク、関係性が複雑に絡んだ状態が都市なのではないか・・・、そんなことをY-GSAにいた頃からずっと考えてきました。じゃあ、それってなんなの?と突き詰めていった考えを書き留めるときに、いろんな絵を描いていましたね。最終的にかたちにするには、それらのイメージを最終的に定着させて、図面や模型に落とし込むのですが。