ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。 「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターた ちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか、「仕事術」をテーマにインタビューを行うシリーズを2022年3月にスタートした。彼らの「仕事術」とはどのようなものか? 読者それぞれの仕事に置き換えてみる、そんなきっかけになればと考えている。
第五回となる今回は、初のユニットへのインタビューである。東京・文京区の住宅密集地に事務所を構える流動商店の事務所を訪ねた。なお、彼らへのインタビューは、今回が初であるとのこと。
「りゅうどうしょうてん?」と思わず聞き返したくなる事務所名。共同代表の三氏は30歳前後と若く、三文字昌也(さんもんじまさや)さんは都市デザインが専門。2018年に三文字氏と事務所を設立した豊田健氏は料理人で、事業デザイナー。2020年にジョインした中山陽介氏は建築家で環境デザイナーだ。
そんな個性的な三人のプロフィールを最初に確認しておこう。
- 流動商店 共同代表3氏のプロフィール
三文字 昌也(Masaya Sammonji)
流動商店共同代表、都市デザイナー
1992年神奈川県生まれ。2016年東京大学工学部卒業、同学大学院工学系研究科都市工学専攻(都市デザイン研究室)。
都市デザイン・都市計画史の研究者として、東京都区部から台湾、ネパールまで、さまざまな場所で都市デザインの研究・実践を行う。2018年に豊田健らと流動商店の前身となる事務所の立ち上げに参画、都市という専門を生かした空間設計・プラニング・クリエイティブなどを担当する。
中山陽介(Yosuke Nakayama)
流動商店共同代表、建築家、環境デザイナー
1994年東京生まれ。東京工業大学附属科学技術高校で建築を学び、千葉工業大学に進学。同学大学院で意匠設計を専攻、修了。大学院修了後は能作文徳建築設計事務所に勤務。2020年に独立し、環境と建築をデザインするPON Designを設立、主宰。同年より合同会社流動商店で共同代表も務める。
豊田 健(Ken Toyoda)
流動商店共同代表、料理長
1992年生まれ。2014年東京大学教養学部卒業後、住友商事にて資源トレード投資事業に従事。2015年よりRidilover(リディラバ)にて地方自治体とのツアー企画事業の部長を務め、全国各地に200人以上を送客するツアー事業を創出した。エスニックの料理人としての顔も持つ。
ウェブサイト https://ryudoshoten.tokyo/
流動商店は「都市を流動化させる」と標榜し、設計だけでなく、自分たちで手を動かし、施工も手がける。DIYを取り入れたワークショップも得意で、集まった人々と「空間」「地域の未来」「場を運営する仕組み」「美味しいもの」「おまつり」などを一緒になってつくりあげていく。地域の拠点となる空間のほか、この10月には都内でリノベーションした日本酒のバーが完成。そして福井県・東尋坊では、計画地面積17ヘクタールという超大型プロジェクトの実施設計が進行中だ。
大小さまざまなプロジェクトを手がけている流動商店。彼らはどのようにこれらの仕事を獲得したのか? そこでの仕事術とは?
東京・文京区の住宅街にある流動商店の事務所で、三文字氏と中山氏のおふたりに話を聞いた(豊田氏は海外渡航中で不在)。今回のインタビューも前後編でお届けする。
「流動商店」という事務所名に込めたもの
ー設計事務所で「流動商店」という名前にはインパクトがあります。商店とは? そこにどのような意味が込められているのでしょうか。
三文字昌也
それは中山ではなく私から説明したほうがいいですね。
中国語の一般名詞からとりました。向こうでは流動する商店、つまり屋台(リヤカー)のことを「流動商店」と言うのです。屋台は我々の事務所のロゴにもなっています
ーそうなんですね! でもなぜ、中国語から?
三文字
私は19歳のときに台湾を旅してすっかりハマってしまい、東大を1年休学して留学しました。台湾は夜市(よいち)が有名で、夕方になると屋台を引いた露天商がどこからともなく集まってきて、広い駐車場や道路の両側がびっしりと屋台で埋まります。でも朝がくる前には片付けて、ウソみたいに現状復帰される。非常に流動的で、そういった台湾の都市のあり方に強い共感をもちました。
固定された不動産、ハードの上に成り立っているのではなく、空間が流動するというか、そもそも都市は流動するものだという意識のもと、台湾の人々は自分たちのまちをつくっているように見えたのです。
ーそのあたりの台湾における「都市の流動性」は、三文字さんが出演された『マツコの知らない世界 台湾夜市の世界』(TBS、2023年9月19日放送)でも語られていましたね。
三文字
私のインスタグラムにいきなりオファーが入ったのでびっくりしました(笑)。
台湾から帰国後は東大に復学して、工学部で都市工学を専攻しました。都市デザイン研究室で西村幸夫、宮城俊作、中島直人といった先生がたに師事しました。卒業設計は台南をテーマに選び、修士論文は日本統治下で建設された遊郭のなりたちを都市計画の視点で研究しました。いま、私は東大の博士課程に入り直していて、準備中の論文も台湾がテーマです。
都市とは常に流動するものだと考える我々にとって、「流動」はとても思い入れのある、大切なキーワードです。ある意味、我々も流動する商店だと言えます。語感もいいし、気に入っています。
夜はバーも運営していた流動商店
ー当初、このインタビューは、千石2丁目にあるこちらの事務所(流動工房)ではなくて、向丘2丁目にあるバー〈流動商店.tokyo〉で行う予定でした。2019年からバーも運営しているのですね。
中山陽介 店舗〈流動商店.tokyo〉は大家さんと協働して始まった初期のプロジェクトで、小さな3階建ての中古店舗兼住宅を、我々で改修設計と施工もやり、2019年にオープンさせました。1階がシェア店舗のバーで、2階が事務所。同じ場所に最近まで住んでいました。三文字とベッドを2つ並べて寝起きして(笑)。今は事務所をこの場所に引っ越して、三文字が上の2階に住んでいます。
三文字
我々も店に立って接客をやり、不定期で建築系のトークイベントなども開催しました。諸事情あって9月でいったん店舗は閉めますが、今後またこのような場所をつくれたらと思っています。
でも、小さいながらも都内で店舗を切り盛りしていた経験と実績は、流動商店の大きな強みになっているのではないか思います。我々は、ただハコモノを設計して終わりではなく、人が集まる場所をつくったあとのことまで一緒に考えたい。
人を集めることを目指すなら、飲食店営業許可はとったほうがいいとか・・・。
ーそこまで提案する設計事務所は珍しいですね。
中山
文京区の保健所の窓口にはいつもお世話になっています(笑)。
三文字が食品衛生責任者をもっていますし、自分も学生時代に焼肉店を切り盛りしていた経験もあって、フードメニューは三人で提案します。実際に店舗経営をしてる・してないとでは、クライアントへの説得力も違ってきます。
3人のプロフェッショナルで構成されるユニット・流動商店
ー三文字さん、中山さん、本日不在の豊田さん、共同代表を務める三人の役割分担を教えてください。
三文字 いちがいに分けるのは難しいですね(笑)。強いて言うなら、料理人でもある豊田が「美味しいもの」担当です。彼は資金運用にも詳しくて「場を運営する仕組み」を考えるプロでもあります。私が都市デザインが専門で、我々のプロジェクトではほぼやっているワークショップや「おまつり」なども企画してやっています。最近は建築スケールの仕事が新築・リノベーションともに大きなウエイトを占めるようになっていて、そこらへんはだいたい中山の領域です。
中山
三人それぞれに得意な領域があり、足りない部分は補って、トータルで依頼に応えています。共通点としては、僕らはどこかのスケールに限らず、スケールを横断しながら、余剰空間を何かに使っていこうという意識が高いかなと思います。
ね。単に内装設計や施工するだけではなくて。
ー流動商店のホームページに記載された経歴を見ても、本当に三者三様です。いつどこで接点があって、ユニットを組むに至ったのでしょうか。
三文字
私と豊田がまず、2017年の終わり頃に、本郷界隈で知り合いました。私は当時、東京大学の工学系研究科の大学院生で、豊田はすでに東大の教養学部を出て、商社に勤めたあと、地域創生関連の仕事に携わっていました。
あの頃、東大本郷キャンパスとその周辺は、ベンチャーが起業したり、なにか新しい場所づくりをしようという機運があって、若い人たちが、既存建物を改修して店舗やレンタルスペースを運営して集客するのがちょっとしたブームになっていました。そこで、根津に新しい場所をつくるプロジェクトがあり、そこでのDIYの仕事を契機に、私と豊田、もう一人の三人がユニットを組んで、今の流動商店の前身となる会社をつくりました[*1]。
ーもともと建築だけというわけではないのですね。
三文字
我々はずっと、現場にいる助っ人みたいな感じでやってきていて、最初の頃は、建築設計事務所というより、ゲリラDIYみたいなことをやるユニットという感じ。
けっこう全国各地から声をかけていただいたので、荷台の大きい車の後ろに工具を積んで、現場から現場へと全国を行脚していました。