人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している昨今、建築とその周辺領域に対して求められる職能も変化が求められている。
「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターたちの「仕事術」をテーマにインタビューを行うシリーズを2022年3月にスタートした。彼らはどういったことを日々考えながら仕事をしているのか。その先に何を見据えているのか。インタビューによってそれらが浮き彫りなることで、読者それぞれの仕事に置き換えてみる、そんなきっかけになればと考えている。
連載第七回となる今回は、フードスケープ(Foodscape)をテーマに研究を行い、そこから得た知見を活動の軸とする正田智樹(しょうだ ともき)氏にインタビューを行った。

正田智樹(しょうだ ともき)氏 プロフィール

正田智樹(しょうだ ともき)氏

一級建築士。1990年千葉県生まれ。父親の転勤に伴い、幼少期をフランス、インドネシア、中国、ベルギーで過ごす。帰国後、東京工業大学(東工大)に進学。2014-15年に在籍した塚本由晴研究室では2017年に刊行された『WindowScape3 -窓の仕事学』(フィルムアート社)の調査・研究に携わる。2016-2017年にイタリア・ミラノ工科大学留学。現地では、スローフード(Slow Food)に登録されているイタリアの伝統的な食品を、建築の視点から調査。2018年より会社員にて設計業務に従事。著書に『Foodscape フードスケープ:図解 食がつくる建築と風景』(学芸出版社、2023年)がある。

「フードスケープ(Foodscape)」とは?

正田氏の研究テーマである「フードスケープ」とは何か?
その答えは、昨年10月に著した初の単著『フードスケープ』のサブタイトル「食がつくる建築と風景」にある。食の生産に関わる建築は、その土地固有の自然と食を結びつけるという大きな役割を担っている。日本では、蜜柑畑の石積みが太陽熱を活かしたり、寒干し大根の櫓が風通しを良くして大根を乾燥させる。イタリアでは、トマトを大きな庇の下に吊るして風を取り入れ乾燥させたり、レモンをパーゴラの下で育てることで太陽光を燦々と果実に当てながら風通しを良くする。これらは私たちが普段見る建築とは少し違う。それは、まるで食が人々に働きかけ、つくられたような建築である。そうした「フードスケープ」は長年にわたって、周囲の自然に溶け込むほど一体的な風景となっているのである。

ここでは、人々や自然、建築が積み上げてきた「フードスケープ」について、正田氏にお話しを伺った。

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正田智樹氏 単著『フードスケープ 図解 食がつくる建築と風景』表紙

東工大でのWindowScape 窓の仕事学の研究・調査

ご出身の東京工業大学では、建築家の塚本由晴さんに師事されました。そこではどんなことを学ばれたのですか。

正田 塚本研究室では、YKK APが窓に関する知見を深める研究活動「窓学」を2007年に立ち上げて以降、研究を続けていました。塚本研究室のWindowScapeには軸として”窓のふるまい学”という考え方があります。それは、窓を様々な要素のふるまい、例えば、”窓を通って入ってくる光や風、そこにたまる熱、その熱に寄り添い外を眺める人、街路を歩く人、庭に広がる緑”といった生態系の中心に据えることです。そうした関係性の中からたちあらわれる窓を、世界各地の文化や宗教の中で調査・研究を行っており、私たちの代は、日本の手工業の現場における「働く窓」を研究しました。

ー正田さんの代の研究は、WindowSacpeの3冊目の書籍(『WindowScape 3窓の仕事学』2017年、フィルムアート社)となってまとめられていますね。

正田 窓の仕事学では、窯元や藍染め工房、塩の生産工房といった、日本全国の手仕事の工房を研究対象に調査を行いました。そこでの窓は、光や風、湯気といった自然要素を調整する役割があります。窓がまるで、職人さん達と共に働いているように見えました。そうした理由で働く窓、“窓の仕事学“と研究室では呼んでいました。私は、なかでも第二章「食品加工の窓」に特に興味を持ちました。書籍の掲載順に挙げていくと、干柿の乾燥小屋、マスカット温室、沖縄塩づくりのためのサイカンタワー、鰹節小屋、燻製小屋、糀(こうじ)室、酒蔵などの窓です。

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調査に関わった『WindowScape3 窓の仕事学』について説明する正田氏

—窓の仕事学のどういったところに魅力を感じたのですか。

正田 例えば、島根県畑地区にある柿小屋は、11月ごろから雨を防ぎながら柿を乾燥させるため、全面引き戸の窓を解放し風を取り入れ、天井から柿を吊り下げます。木製建具だったものをアルミサッシ窓に更新していたり、同じような形式の窓を生産者が広く用いることで、集落全体が茜色に染まる風景となっています。

また、岡山県北区津高にあるマスカット温室では、紫外線を最大限に取り込むためにガラス屋根を設置して取り込み、さらに取り込んだ紫外線は地面に敷き詰めた銀色の反射シートによって反射することで、マスカットの実を成長させます。また、紫外線により内部が熱くなりすぎないように、棒によって連結した側窓と天窓によって風を通すことで、温度と湿度を調整しているのです。

これらの建物やしつらえはすべて、人間のためというよりは食のためにつくられたものです。人が主体の建築ではなく、食が主体となることで、スケールや素材の使われ方などに見たことのないものが立ち現れることに驚きと感動を覚えました。その後のイタリア留学と、今も持ち続けている研究テーマにその時の衝動がつながっています。

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島根県松江市畑地区にある干し柿のための乾燥小屋(撮影:東京工業大学塚本研究室)

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集落の中に茜色の乾燥小屋が立ち並ぶ(撮影:東京工業大学塚本研究室)

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岡山市北区にあるマスカット農家の温室 (撮影:東京工業大学塚本研究室)

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太陽光の反射を促し、果実を育てるため反射する銀のビニルシートを敷き詰める(撮影:東京工業大学塚本研究室)

WindowScape3では、対象となる窓が何をつなげているのかを読みといていきます。モノ・人・自然と要素を分けて、窓の形態を細かく見ていくと、窓がそれらの結節点になっていることがわかります。それらを図解していくことを試みました。
そうすると、現代を生きる私たちが都市で生きていく中で、実はいろいろなものと分断されていることが見えてきます。

イタリア・ミラノ工科大学に留学、現地調査へ

2016年からイタリアに留学されます。その理由は何だったのですか。

正田 イタリアはスローフード運動の発祥の国なんです。「おいしい、きれい、ただしい(Good, Clean and Fair)」をスローガンに掲げた運動で、今では日本を含めて世界中に広がっています。その誕生のきっかけは、マクドナルドがローマのスペイン広場に出店する際に、地元の人々やトラットリアやバールの店主などが起こした反対運動のデモでした。結局マクドナルドは開店するのですが、デモをきっかけに、イタリアの活動家で作家のカルロ・ペトリーニ(1949-)が中心となってスローフード運動がはじまりました。スローフード運動のキーワードは「美食家(ガストロノモ)」です。彼らにとっての美食家とは、単に美味しいものを食べるのではなく、食が美味しい理由を探求することです。私たちが食べている食は本当に美味しいのか、その問いは食卓を超え、調理人、調理方法、生産方法や生産者までつながることになるのです。

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トリノで2年に1度行われる食の祭典 Salone del Gusto

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石積みの段々畑につくられたアマルフィのレモン畑

—イタリアではどのようにして調査を進めていったのですか?

正田 生産者さんへ電話で交渉をして、現地に赴いて取材しました。そのときに拠り所としたのが、イタリアのスローフード協会が伝統的な食を認証制度を使って保護する「スローフード・プレシディオ(Slow Food Presidio)」です。Presidioに定められる食は認証のロゴがつけられることで、消費者が一目で伝統食品であると言うことがわかります。また、生産規定が地域の生産者と協会の間で定められ、そこから逸脱ができないという厳しいルールがあります。そこには、生産方法だけではなく、歴史や気候風土との関係が書かれており、生産者もそれを理解しなければなりません。そうした生産規定をもとに自然と食、そして建築の関係を探っていきました。

—イタリアの場合、そこに建物が介在していると建材まで指定されているのですか?

正田 ある場合とない場合があります。例えば、クラテッロという生ハムを生産する際にはレンガ造することや、貴腐ワインを生産する際にはガルダ湖から吹く風を窓から取り入れて、ぶどうを乾燥させることなどです。

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生ハムの王様と言われるクラテッロは、冬の間湿気を含んだ風を取り入れるための窓とその湿気を増幅するためのレンガ室でカビを生やすことで、独特の風味を得る

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トレンティーノの貴腐ワインは、ガルダ湖に向かって窓を設置することで、木棚のぶどうを乾燥させる

正田 イタリアでの調査では、まずこのPresidioを頼りに、イタリアの伝統食材の生産地を調べて、ピックアップしていったのですが、和訳本が出ておらずイタリア語の原書なので、読解では苦労しました。生産地の気候や地質、それと食とがどのように関係しているのか、さらにそこに建物がどう絡んでいるかを知りたかったので、窓(finestra)や風(vento)、建物(edificio)といった単語を文中から拾っていくことから始めました。この本以外にも、インターネット上にあるスローフード関係の膨大な量の画像を検索したり。そうやってリストアップした、イタリア各地の生産地を訪ねて回りました。

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『スローフードプレシディオ』の事例が写真と共に掲載された本について説明する正田氏

「フードスケープ」から見えてくるもの

日本とイタリアを比較して「食の現場」に違いはありましたか?

正田 イタリアでは生産地での工程全体が1つの集落の中でまとまっていることが多かったです。対して日本では、原料の生産地と加工の場所が別々なことが多いから、こういった風景にはならないことが多いです。例えば日本酒では、米は兵庫県の山田錦を使って、醸造は愛知県常滑市で行うなどです。他には、建築のディテールと食生産の関係が日本の方が繋がりがありました。例えば、塩の生産において日本では海水を外部で天日塩にできない。そのため海水濃度を濃縮する小屋と結晶化する小屋を作るのですが、そのために作られた建築はとても美しいものがあります。そうした技術も食と建築を結びつける大切なものです。

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豊島の天日塩ファーム:海水を防風ネットに循環させて海風に当てて蒸発させることで、塩分濃度をあげる(撮影:正田智樹)

—正田さんがイタリアで撮った写真を拝見しましたが、人々がつくってきた建築や構築物であるにも関わらず、それを俯瞰したら自然がつくり出したような風景になっているのがとてもおもしろいですね。

正田 そうなんです。人がつくってきたものなのに、あたかもそれがそこにもともとあったような風景になっている。人々が時間をかけて自然を活かしながら持続的に食の生産をする方法を試行錯誤した結果、それが集落の知恵となり、広がることで風景になっていったということです。それを調査して図解することで、そうした試行錯誤からつくられた知恵を学び、建築の設計に活かすことができます。いま農村風景は失われていってしまっていますが、それらを維持更新する方法論にできるのではないかと考えています。

—こうしたフィールドワークはイタリアではどのように捉えられていましたか。

正田 日本の建築分野では、戦後の西山夘三や今和次郎をはじめ、神代雄一郎などフィールドワークからヒントを得て、近代批判をする批評言語をつくり、設計に活かすことは脈々と受け継がれています。ただ、留学先のミラノ工科大ではそうした印象はなく、先生や学生たちも私がスローフードの研究をしているといっても、あまり理解を示してもらえないことが多かったです。
ただ、歴史を調べるとイタリアでは1930年代頃はフィールドワークが盛んで、ジョゼッペ・パガーノ(Giuseppe Pagano)という建築家が農村などのバナキュラー建築を集めた書籍も出版されていました。それはバーナード・ルドフスキー(1905-1988)の『建築家なしの建築』[*註]が出版される1964年よりも前の本です。ということは、昔はこういった議論も盛んにあったと思うんです。こうした農村建築があることを知り、勇気をもらい、調査を継続することができました。

*註.『建築家なしの建築』:原題「Architecture Without Architects」。世界各地の無名の工匠たちによる風土に根ざした土着建築を一堂に会してパノラマ的に紹介した図集

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『ARCHITECTURE RURALE ITALIENNE』Giuseppe Pagano et Guarniero Daniel, 1936

インタビューの前編はここまで。後編では、正田氏が建築の道に進んだ経緯や、日伊の「フードスケープ」の具体的な事例について話を聞いていく。

インタビュー後編 INDEX
●ランドスケープと建築を意識した幼少期の体験
●フードスケープを構成する建築的要素
●「食」の現場にみる建築の可能性
●伝統を次世代に受け継いでいくために

取材・文/遠藤直子


※2024年8月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。

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