建築を中心とするクリエイターたちの「仕事術」についてインタビューするシリーズの第七回。今回は、大学時代にものづくりの現場に関わる窓について、その後は食と建築、「フードスケープ(Foodscape)」にテーマを絞り込んで研究に取り組み、大手ゼネコンの設計部に就職した今でも、それらから得た知見を個人としての活動の軸とする正田智樹(しょうだ ともき)氏にインタビューを行った。氏は、日本とイタリアでリサーチして得た多様な「フードスケープ」の知見を、建物を設計するうえで活かせないかと考えている。
インタビューの後編では、「フードスケープ」はその一部といえるランドスケープに正田氏が興味をもち、建築の道に進んだ経緯や、日伊の「フードスケープ」を構成している要素やふるまい、それらを支えている人々の存在について話を聞いていく。

インタビュー前編はこちら

正田智樹(しょうだ ともき)氏 プロフィール

正田智樹(しょうだ ともき)氏

インタビューに応じる正田智樹氏

一級建築士。1990年千葉県生まれ。父親の転勤に伴い、幼少期をフランス、インドネシア、中 国、ベルギーで過ごす。帰国後、東京工業大学(東工大)に進学。2014-15年に在籍した塚本由晴 研究室では2017年に刊行された『WindowScape3 -窓の仕事学』(フィルムアート社)の調査・ 研究に携わる。2016-2017年にイタリア・ミラノ工科大学留学。現地では、スローフード(Slow Food)に登録されているイタリアの伝統的な食品を、建築の視点から調査。2018年より会社員にて設計業務に従事。著書に『Foodscape フードスケープ:図解 食がつくる建築と風景』(学芸出版社、2023年)がある。

ランドスケープと建築を意識した幼少期の体験

ー正田さんはなぜ東京工業大学(東工大)で建築を学ぼうと思ったのですか。

正田 そもそもは、ランドスケープと建築との関係性に興味がありました。私は父親の仕事の関係で、10代の後半まで海外で暮らしていました。フランス、インドネシア、中国、ベルギーと、アジアとヨーロッパに住んでいました。建築に興味を持ったきっかけはベルギーのランドスケープと街の関係です。ベルギーは街の中に緑が多く、車道と自転車道、トラム、歩道が並行して走り、それぞれの分離帯にとても高い街路樹が立っていたり、大きな公園が街の中にあり、その公園の中にオフィスビルが建っていたりするんです。特に衝撃を受けたのは公園と街が連続的につながっていることでした。道路と公園の芝が隣り合わせになっていてそこから公園の森や湖が奥へつながっていくんです。一方、日本では公園の周りに生垣をつくることで街と公園の境界線をつくっている。高校生ながら、その連続性や一体感には感動を覚えました。
帰国して受験生の際に、芦原義信先生の名著『街並みの美学』を読み、まちと公園の境界に関して同じ問いを立てられていることがわかりました。公園や建築自体のデザインではなく、それをどのように繋いでいくか、そうした物と物、場所と場所の繋ぎ方をデザインする建築の仕事にとても関心を持ちました。

東工大は当時、塚本由晴先生のほかに安田幸一先生、奥山信一先生、藤岡洋保先生も教えていらして、そうした先生方から学びたいと思いました。そして、幼い頃に世界の各地でいろいろな文化に触れた経験を活かし、そうした文化や自然環境、宗教などと建築の関係を探りたかった。それがフィールドワークをやりたいと感じたきっかけです。

ー正田さんは、建物だけでなく、食も現地でリサーチされたのですね

正田 はい(笑)、取材先の料理は全て食べました。料理を食べ、その料理が生まれた背景を風景から建築、工程から見れたことはとても贅沢な経験でした。おいしさが建築を維持し続ける一番のモチベーションだと思うので、それを感じることは重要でした。そこでしか食べられないような感動が毎回あります。フードスケープのフィールドワークの醍醐味の一つです。

フードスケープを構成する建築の要素

ー前編では、イタリアと日本の「食の現場」の違いについて触れていただきました。調査事例にみられた建築的な要素をもう少し詳しく教えてください。

正田 具体的な建築要素に入る前に、そもそも食の生産と建築的要素がどのように関係しているのか、そして食の風景をどのように捉えているのかをご説明します。
食の生産は”材料の変化”と”工程”に分けることができると考えています。下図はワインの生産の場合です。そして材料が変化する間に工程がある。工程の中にそれぞれ建築があるのではないか、というのがこの図の見立てです。材料の変化は時代や場所にとらわれずに不変ですが、工程はその地域の気候、技術の変化によって道具や建築によって変化します。寒い地域では栽培に熱が必要だったり、太陽の光をたくさん受けるためにパーゴラをつけたり。ある工程の建築や道具に着目することで、その地域の気候や文化の特徴を浮かび上がらせることができるのです。
そうした地域の地形、気候や文化に沿った建築や道具のある工程が最適配置され、工程全体を見るとその地域の風景がつくられる。

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材料の変化、工程、工程の最適配置

これらの工程の中で材料の変化を進めるために、建築的要素が寄与していると考えています。二つの事例をご紹介します。
ヴェッサーリコ村のニンニクは、ジェノバの北に位置する村で収穫でき、栽培、収穫、乾燥、皮剥き、編み込み、乾燥の順に工程が進められます。食べられるまでに2回乾燥工程を行うのはより長持ちさせるためです。1回目の乾燥は収穫したニンニクをそのまま乾燥させ、皮剥きをした後、ニンニクの葉経部分を三つ編みにして、再度乾燥させます。そこでの乾燥工房がとても美しいです。木製ガラリを2つ積んだ窓が立面的に並び、上部のガラリ窓は内倒し窓になっています。ニンニクは下からの風で乾燥させるのがよく、その日の天候によって風の通りを調整できるようになっています。さらに、ガラリ窓の上にはガラスが嵌められ、ハイサイドライトが室内の作業スペースを照らします。ニンニクは日光で成長してしまうため、ニンニクには日の光が被らないようになっています。

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風通しを調整できるガラリ窓とその上に設置された明かり取り用の高窓(撮影:正田智樹)

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アイソメ図とニンニクを吊り下げている様子(図版・撮影:正田智樹)

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ヴェッサーリコ村のニンニクのヴァレーセクション(図版:正田智樹)

正田 そのほか、日本の四郷という村では串柿の生産を行っています。串柿の生産はもともと斜面地の道路に柱を立て、仮設的に毎年ポリカ屋根を架け、串柿を乾燥させていたのですが、20-30年前より鉄骨で恒久的に大型の小屋をつくったそうです。しかし、興味深いのはそこでの資源の活かし方は変わらない。両方とも風を通し、屋根から太陽熱をうけて串柿を乾燥させている。そうした知恵の継承は風景を新しい時代へと更新するのにとても重要なのだと気付かされました。

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風通しを良くし、雨を防ぎ、太陽熱を活かすポリカ屋根の架かった伝統的な柿屋(撮影:正田智樹)

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新旧の柿屋が四郷の風景を更新する(撮影:正田智樹)

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アイソメ図(図版:正田智樹)

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四郷の串柿のヴァレーセクション(図版:正田智樹)

ー効率的であるだけでなく、その総体となったフードスケープは美しい。見る者を惹きつける景観です。

正田 フードスケープは美しい。そうした風景が永遠に続けばいいと思いますが、生産者さんたちの日々の営みがなければすぐに廃れてしまいます。今後こうした風景はどんどん失われていきます。農業の担い手不足、効率重視による機械生産への移行は止められません。それを自然のリズムと機械のリズムとして著書の最後に書きました。少しでも自然とのつながりのある生産を維持・更新できるようなヒントがこのフードスケープで紹介した食生産の中にはあると思うのです。自然から切り離されてしまった生産も、建築の知恵をかりればまた風景へ寄与できるような工程を取り戻せるかもしれない。そんな希望を持ちながら研究と実践を続けていきたいと思っています。

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自然のリズムと機械のリズム、自然のリズムのほうへどのようにシフトできるか(図版:正田智樹)

「食」の現場にみる建築の可能性

ー正田さんは今、会社員として設計業務を行なっています。ライフワークとしている「食と建築」は、日々の設計活動にどのような影響を与えているのでしょうか。

正田 会社員としての仕事では、関連がないものの方が多いです(笑)。
ただ、今手がけている都内のテナントビルは、日影規制によって生じるボリュームと植栽計画を関連づけ、建物を段々状にすることになり、雨水を利用して各階に菜園をする計画です。どうすれば身の回りの資源である光や熱や雨を活用しながら、菜園の植物を育成できるかをシミュレーションしながら計画を進めています。

伝統を次世代に受け継いでいくために

ー今日はお話をうかがって、いろいろな気づきがありました。食の現場に建築がより関与できる余地がありそうなこと。そしてラテン気質で大雑把などと称されるイタリア人がとても厳しいスローフードの規約書をつくっていたり。

正田 そこにはやはり、イタリア人の地元の食のおいしさに対する誇りがあるのではないでしょうか。留学している時に友人がカルボナーラをつくるにしても絶対に生クリームを入れるな、生卵とパルメジャーノ・レッジャーノでとろみと味付けをするんだと主張してきました(笑)。そうしたこだわりや自分の地元の食のことを詳しく知り、誇らしげに語る彼らがとてもかっこよく見えました。でもその背景には、やはり故郷への愛着、故郷に抱いている誇りというものがある。それは、日本の大学生活ではなかった体験でした。日々の暮らしの中で出てくる、愛着や誇りがイタリア全土の食を保護する気運となっていることは間違いありません。

ーイタリアには、共通する社会的、経済的、文化的なアイデンティティをもつ都市と農村のまとまりを指す「テリトーリオ(英語ではテリトリー)」という考え方がありますね。

正田 そうですね。テリトーリオについては陣内先生の本で学ばせていただきました。イタリアは第二次世界大戦で都市の中心部が破壊されていて、戦後はその「チェントロ・ストリコ」という復興計画から着手するんですけど、それが80年代になり落ち着いてくると、都市と田園とどのように繋げていくかという段階にシフトしていきました。そこから「テリトーリオ」という概念が生まれます。テリトーリオは、そこにある自然条件や気候風土を活かしながら営まれてきた、農業や林業、牧畜、そしてそれらを支えるための人々の住居、農場、工房や商店などのつながりと領域です。農業、林業と分業化して産業を捉え、生産能力を拡大するのではなく、それらは生態学的なつながりを持つため、農村全体を考えながら更新しなければいけないと考えてきたのがイタリアです。こうした考え方は、伝統食を保護するだけでなく、それらを支える人々の職業や風景を維持するのに多大な影響を与えました。

ー今後も「フードスケープ」の研究を継続するとのことでした。ほかにどういったことに取り組んでいきたいと考えていますか。

正田 やはり、食の生産の現場で設計をやらなければいけないと思います。研究だけでなく、自ら風景を更新していく建築をつくること。それを今後の人生の中で積み上げていきたいと考えています。食と建築の可能性はまだまだ深掘りできます。自然と食の関係をつくる建築を、建築家が生産者さんの声を聞きながらデザインして、そこにある環境でしかつくれない建築や風景をつくっていくことが今一番実現しなくてはいけないと考えていることです。

インタビュー前編 INDEX
●「フードスケープ(Foodscape)」とは?
●東工大での「WindowScape(ウィンドウスケープ)」研究
●イタリア・ミラノ工科大学に留学、現地調査へ
●「フードスケープ」から見えてくるもの


※2024年10月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。

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