ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。 「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターたちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか、「仕事術」をテーマにインタビューを行うシリーズを2022年春よりスタートした。 彼らの「仕事術」とはどのようなものか? 読者それぞれの仕事にも置き換えて、考えるきっかけになればと考えている。

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緑豊かな《富士見台団地》住居棟エリア

今回は、東京の郊外・国立市谷保(くにたちし やほ)にて、UR都市機構[*後述]が管理・運営する団地の一角をリノベーションしたスペース《富士見台トンネル》を、「シェア商店」として1時間単位で貸し出し、自身の設計事務所・junpei nousaku architects(ノウサクジュンペイアーキテクツ)も置いている、建築家の能作淳平氏に、この《富士見台トンネル》にてインタビューを行った。
※特記なき画像はすべて、ノウサクジュンペイアーキテクツ提供

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画面中央:大学通りに面した《富士見台トンネル》

《富士見台トンネル》は、JR中央線国立駅とJR南武線谷保駅を南北に結ぶ大学通りに面している。最寄りは谷保駅。高度経済成長期に建設された旧公団住宅、富士見台第一団地[*後述]の西端に位置する。ショッピングモールで3年ほど空いていた物件を、能作氏が賃貸契約してリノベーションし、《富士見台トンネル》という「シェアする商店」をオープンさせた。2019年11月のことである。

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《富士見台トンネル》店頭風景

能作氏は、こことは別の西側にあるUR団地に住んでいる。取材日の朝は、自身でシャッターを上げ、冷房と照明のスイッチを入れ、突き当たりの団地の中庭側の勝手口のガラス扉も開けて、溜まった空気を抜いた。
店舗の奥行きは11メートル。天井と壁はスケルトンで、まさに掘り抜いたような空間を、大テーブルが貫いている。大通り側に厨房設備を備え、奥の中庭側のテーブルの一角が、能作氏の「事務所」である。

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《富士見台トンネル》内観(2019年11月オープン当時)

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《富士見台トンネル》内観(2019年11月オープン当時)

なお、この日のシェア商店は、ローストビーフの丼とサンドイッチを出す店で、インタビュー途中の11時に開店し、早々にカウンター席が埋まっていた。

1つの大テーブルを設計事務所と出店者がシェア

ーこちらは能作さんの設計事務所でもあるそうですが、建築模型が見当たりませんね?

能作ああ、模型は、テーブルの下に置いてありますけど、あまり数が多くないんですよ。壁にずらっと並べるの、僕は好きじゃないんです。大量に模型をつくると、却って考えがまとまらないというか、アウトプットに満足して、判断を狂わせるような気がして。

ーこちらは、シェアキッチンではなく「シェア商店」なんですよね?

能作そうです。《富士見台トンネル》を開くにあたって、定義づけをしました。世の中によくある、厨房(キッチン)を貸すのではなく、空間そのものを貸して、好きなことやってください、というのだから、シェア商店だろうと。「シェアする商店」と言うことで、キッチンに限定せず、いろんな使い方を想起できればと思ってつくりました。僕もここに間借りしているような状態ですし、そんな使い方もアリかと(笑)。この場所を使って、さまざまなスキルをもった人たちが、僕から1時間単位で場所を借りて、自慢の料理を出したり、いろんなことをするのが「シェアする商店」です。おはぎ、タコス、クラフトビール、チャイの専門店とか。飲食だけでなく、フラワーアレジメントやセラピーの店も出ます。

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《富士見台トンネル》内観(2019年11月)

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《富士見台トンネル》の多彩なメニュー(一部)

ー現在の会員数と、出店するための費用はどれくらいですか?

能作2019年11月初めにスタートした頃は、4人でしたが、今では25から30人くらいに増えています。費用は、年会費が1万円で、共益費なども含めて、昼間だったら1時間1,500円くらいでこの場所を借りられます。ハコはあるので、誰でも比較的簡単に店を始めることができます。

ー入口のガラス戸に、白ペンで素敵な営業カレンダーが描かれていますね。アイコンで何の店かだいたいわかるし、多種多様な商店が出ていることがわかります。

能作デザインは僕が考えて、手描きしてます。増えましたよね、おかげさまで。
会員さんの出入りは多少ありますけど、それでいいと思っています。自分たちのやりたいときに、時間単位で店を出せるのが《富士見台トンネル》のコンセプトであり、良さでもあるので。

ー運営はどのように行っているのですか?

能作運営というよりは、僕の基本的な立場は、最初の面談や、店のコンセプトづくりの相談を受けるというイメージです。売上からのマージンもとっていませんし、僕がいなくても、各店主が自主運営している状態です。そのほか、店主の日々の困りごとなどの相談などは、会員メンバーの中に善処を手伝ってくれる方がいます。

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能作さんの手書きで更新される営業カレンダー

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左は2019年11月開業時の営業カレンダー。右の2022年8月のものと比べ、会員数が格段に増えていることが一目瞭然

最初の転機は郊外への引っ越し

ーなぜ、このような「シェア商店」をやろうと思ったんですか?

能作そもそも、この富士見台団地に拠点を構えた経緯から説明しますね。
長男が生まれて、子育てのことを考えて、妻の実家に近い、東京の西部で家を探したんです。どうせ住むなら、自分でリノベーションしたかった。一軒家も含めて探していたら、ちょうど、ここの西側の団地で空きがあった。賃貸だけど、好きにリノベできる、現場復帰もしなくていいと。自分たちで改修して、引っ越してきました。それが8年前です。

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自宅となるUR団地のリノベーション、改修前の内観

ー《富士見台団地のリノベーション》は、『Casa BRUTUS』をはじめ、多数のメディアに掲載された事例ですね。

能作床板からぜんぶ剥がして、ガチでやりました(笑)。僕は独立する前に、長谷川豪さんの事務所で4年ほど働いて、都内の戸建て住宅とか、住宅作品を中心にいろんな現場で経験を積ませてもらったのですが、最初に関わったのがマンションのリノベーションでした。DIYみたいな施工で、あの時の経験が生きました。

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改修後の内観 《富士見台団地のリノベーション》(2014年)

能作淳平、自ら「クライアント」になることを決意する

能作そうして、国立で暮らし始めたのが2014年。リノベした自宅がメディアで取り上げられたりして、設計の仕事が次第に忙しくなったんです。事務所としては順調なんでしょうけど、次第に、数をこなすだけでいいのかと考えるようになってしまった。これは、僕の性格だと思うんですけど、組織の決まりきったやり方とか、仕事の請け負い方というものに、なんか抵抗があるんですよ。プロジェクトって、デザインだけ良くても、最初の設定やメンバーシップがちゃんとしていないと、なかなかうまくいかない。じゃあ、どうしたらいいかと考えたときに、自分がクライアントになるのがよいのでは? と。

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長崎県五島市で手がけたゲストハウス、コーヒーショップ《さんごさん》(2017年)

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佐藤工業との共同設計《ショウワノート高岡工場》(2018年)

能作悩んでいた頃には「シェア商店」の構想はあったんですが、当時のスタッフに「実はこういうことがやりたいんだ」って打ち明けたら、なんかイマイチな反応で(笑)。でも、実現のための時間をつくりたかったので、仕事を徐々に減らして、最盛期の1/3くらいにしました。

ーそれは、とても大胆な決断ですね。

能作依頼がきたら、話は聞くんですけど、求めている方向性がこちらと違うなという場合は、「僕よりも合っている設計者が他にいますよ」とハッキリ言って、断るという(笑)。
一時期は所員も僕だけにしました。今はスタッフを募集しながら、一緒に仕事をしてくれる経験のあるパートナーと委託契約を結ぶシステムにすることで、スタッフも外部の意見を聞けたり、経験の蓄積ができるし、副業もできる環境にしています。

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出店者が用意した営業時間を知らせる紙が貼られた看板

「シェア商店」構想の萌芽

ーそもそも「シェア商店」という発想はどこから出てきたのですか?

能作プライベートでは、子どものママ友・パパ友さんとの付き合いがあって、彼らの中には、かなりのスキルはあるし、やりたいこともあるのに、子育てで環境が変わったりして、うまく活かせていない人が潜在的にいることはわかっていました。妻もその1人です。子どもが生まれるまでは、ワインソムリエとしてバリバリに働いてたけど、辞めて、引っ越した国立で全く違う職に就いたり。彼女がそういう選択をしたことが、「シェア商店」を考えるきっかけの1つでもあります。
とは言っても、初期投資をして事業にするなんて、相当にハードルが高いじゃないですか。でも、そんな小さな需要を集めることができる空っぽのハコをうまくつくれば、みんなが無理なくやっていけるんじゃないか。利用者が好きに使える、その都度でパフォーマンスが変わっていくような場所をつくりたいと考えて、路面の空き物件を改修して、2019年11月に誕生したのが、《富士見台トンネル》です。

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2019年7月にクラウドファンディングを実施、改修前の”トンネル”空間

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クラファンで公開した”シェア商店”のイメージ

能作さんは、2019年の7月にクラウドファンディングを立ち上げ、資金支援を募る。常連さんになろうコースや、1日店主になれるコースなどのリターンを複数用意したところ、終了の11日前に、目標金額を達し、最終的に127%となった。

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ロゴ&サインデザイン: 古谷 萌(study_and_design)

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コロナ禍前の2019年12月に行われたオープニングイベントの様子

《富士見台トンネル》は2019年11月2日に開店。コーヒーショップ、出前寿司、セレクトワインのバーなどが不定期でオープンする。だが、この数カ月後に、新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行。能作さんたちはコロナ禍という大変な大波に見舞われる。

コロナ禍で迫られた決断

能作今でも収まってないですけど、2020年のコロナ禍はヤバかったです。クラファンに成功したとはいえ、自己資金も注ぎ込んでいましたから。2人目の子どもが生まれて、妻は休職中。僕は《富士見台トンネル》に注力したかったから、設計の仕事を減らしていた。収入ゼロ、お金は出ていくばかり。「やっちまったな」と思いました、正直。

ーそこからどうやって回復されたんですか。

能作コロナ対策を徹底しながら、店を開けるしかないと心を決めました。妻と僕とで店先に立って、ワインとコーヒーを売ることから始めて。そうしたら、「おうち時間」による「巣篭もり生活」の需要が出始めていた頃で、なんとか収益が出たんです。

そのあたりからですね、会員さんが増えるスピードが上がったのは。

あの頃、このままではジリ貧だから、何かやり方を変えないととみんな思っていた。コロナで勤めていた飲食店が閉店したけど、料理はつくりたい人がいたり、テイクアウトにシフトしたいけどテストしてみたい飲食店さんとか、そういう時代の需要に、この《富士見台トンネル》がハマることができた。

この頃、実感したのが、人気(ひとけ)があるってすごく大事なんだなってこと。通りに向かって「どうぞー」と声をかけると、人が寄ってきてくれる。とてもシンプルなことなんだけど、有り難かったですね。

ーママ・パパ友さんたちだけでなく、いろんな受け皿になったんですね。

能作なったんですよねぇ。ほかにあまりない、変な事業だったのに(笑)。
《富士見台トンネル》をつくって、軌道にのる前は、精神的にも暗黒時代でしたから(笑)、僕としても、1つトンネルを抜けることになりました。

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東京都の方針に則り、コロナ対策を実施しながらの営業

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《富士見台トンネル》店頭販売の様子

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夜間もバーなどが不定期でオープンする

つくった空間が人々の受け皿と居場所に

能作建築家としては、共益費込みで1時間貸し1,500円には見えないような空間をつくったつもりです。ちゃんと魅力ある空間で、最小限のリスクで、自分の店を出せるなら、この《富士見台トンネル》の会員システムは安い。
《富士見台トンネル》は、モヤモヤと過ごしていた僕の受け皿であり、みんなの受け皿になり。会員さんもお客さんも、みんなが楽しそうで、閉めないで本当によかった。

ー能作さんが、このまちの住民だったことも大きいのでは。

能作それはありますね。富士見台第一団地の商店街の自治会にもすぐ入りましたし(笑)。よその土地に住んでて、こういうサービスをつくりますと旗揚げしても、うまくコミットはできなかったかもしれませんね。

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第一団地商店街。バス停の前が《富士見台トンネル》(2022年7月 取材者撮影)

能作それと、ここ富士見台第一団地の商店街は、15-20年前はいわゆるシャッター商店街だったんですが、地元の大学を中心にNPOを立ち上げて、まちおこしをやって成功しているんですね。そういう、住民参加のコミュニティの素地があったのも、大きかった。
今では、僕の収入のうち、およそ設計が3で、1が《富士見台トンネル》という割合になっています。

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《富士見台トンネル》勝手口の扉の把手(サインデザイン:古谷 萌)

前半のインタビューはここまで。後半では、そもそもなぜ能作さんは建築家を目指したのか、大学時代や独立前のエピソードが語られる。そして、今回のインタビュー収録時点では正式発表前だった「シェアするみんなのコンビニ」の概要も明らかに!

インタビュー後編はこちら

能作淳平 プロフィール
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建築家、junpei nousaku architects(ノウサクジュンペイアーキテクツ)代表。
1983年富山県高岡市生まれ。2006年武蔵工業大学(現・東京都市大学)建築学科卒業。同年に長谷川豪建築設計事務所勤務。2010年 junpei nousaku architects設立。2019年に「富士見台トンネル」開業。
主な設計作品に、自邸《富士見台団地のリノベーション》(2014年)、《ハウス・イン・ニュータウン》(2014年)、能作文徳建築設計事務所との共同設計《高岡のゲストハウス》(第1期-第2期 2014年-2016年)、《さんごさん》(2017年)、《ショウワノート高岡工場》(2018)、《101BASE》(2021年)などがある。
2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館での展示「縁:art of nexus」にて特別表彰を12組の出展者と共同受賞。 現在、芝浦工業大学、東京都市大学、東京理科大学にて非常勤講師を務める。

junpei nousaku architects Website

https://junpeinousaku.com/info/

※富士見台第一団地:旧日本住宅公団(現在のUR都市機構こと、独立行政法人都市再生機構)が計画し、1965年(昭和40)に完成。大学通りの西側に、第二と第三団地が飛地で位置する
参照元:国立市富士見台地域まちづくりビジョン(2018年2月 国立市発表資料)、UR賃貸住宅物件紹介サイト

取材・文/遠藤直子


※2022年10月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。

クリエイターボイス バックナンバー

001「建築家の仕事術 HAGI STUDIO 代表 宮崎晃吉氏インタビュー」前後編
https://www.ozone.co.jp/news/report-interview/800/
https://www.ozone.co.jp/news/report-interview/801/

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